認知の歪み

考え方

こんにちは、もちきなこです。本日は、認知の歪みについて、考えていきたいと思います。もちろん、人によって考え方は様々でいろんな考え方はありますが、自分を苦しめる考え方を持たないように、自分の考え方を振り返っていきたいと考えていきたいと思います。

論理の飛躍

そもそもの認知の歪みは、論理の飛躍から生じるものだと考えています。自分が言ったことや言われたことから、相手の感情や考えなどのわからない部分を推測してしまい、不安になり、自分を落ち着ける?というか、自分の不安の原因を納得させるための理由を作り出すというか。自分が不安になったという感情に原因を探すんです。そのうえで根拠のない自分の感情に寄り添った論理を展開することで、論理の飛躍が起きています。

ということは、ストレスという記事でも書きましたが、不安が起こっているのは、行動していないからです。自分に自信がない、やりたいことをできていない自分に対しての劣等感、それが感じ場を暴走させる一因であり、自分がやりたいことをやりたいようにできて、今の自分に満たされているなら、あまり不安は生まれないはずなんです。

私がこのブログを続けているのも、自分の行動をアウトプットして自分に自信をつけさせるためだったりします。小さな記事でもどんどん記事が積み重なり、自分が行動した証として残っていくのがうれしいんです。

自分のやりたいことなんてない!っていう方も、仕事は続けられていますし、朝ごはんを毎日食べているのもすごいし、毎日家事をしているのもすごいし、毎日同じものを同じ時間に食べている人もすごいし、習慣って力なんですよ。

私が小学校の時に担任の先生に言われた言葉で印象に残っているのは、「継続は力なり」という言葉で、どんなに小さなことでも継続していくことで必ず未来の自分の力(自信)になるというようなことだったと思います。

今はできなくても、最後にできればよいし、少しずつ少しずつ自分の当たり前のレベルアップを続けていければいいかなって思います。

私は刺激が欲しいので、少しずつレベルアップしたいって思ってますけど、安定が欲しい人は、続けるということを日常的にしているんですよね。自分を保つためのルーティンを知っているというか。それもいつか、できるようになりたいなぁと思います。

考え方の違い

以前の記事で、ロジカルやビジョン、ピースに関する本を紹介したのですが、今さらながらこれが、俗にいう男性脳・女性脳というか、左脳派・右脳派話なのではないかと思っていて、人によって偏りはあれど、接する相手やシチュエーションによっても変わるのではないかと考えています。

仕事だとどちらかというとロジカル(左脳派、論理優先)が多くなり、友達との飲み会とかだとビジョン(右脳派、感情優先)が多くなったりするのかなと勝手に思っています。私自身も、基本的な仕事自体は、ロジカルよりではあるんですが、元がビジョンよりなので計画が破綻することもしばしば発生します。

なので、この人はなんでこんな考え方をするんだ!なんでこんな言い方をするんだ!という強い感情が沸いた時に、自分の状況、相手の状況、自分の考え方を振り返って、ロジカルなどの考え方を思い出すと腑に落ちることが多いです。

もちろん、理不尽な相手もいますし、聞いても教えてくれない意地悪な人もいるし、人はさまざまいるので、何回かの話だけで、その人自身や、その人の考え方をわかる気になるのもおこがましいかなって思っています。

根拠は?という言葉

基本的に論理的に話すとなると、人は根拠だったり、調べた背景を共有して説得力を持たせます。「根拠は何か」と聞かれることに悪いイメージを持たれる方もいるのかもしれませんが、とりとめもない途方もない思考の海に放り込まれている人に対しての、現実に引き戻すための言葉だというと優しく感じるでしょうか?

なぜ?という質問は、聞き方を間違えると、相手の否定につながってしまいますが、なぜこのように考えたのか?に対して、この根拠をもとに判断しましたという理由付けで話すと、何が間違っていて、どこから話がズレているのかがわかりやすくなります。

だいぶ論理的な方だと冷たい対応だと感じるかもしれませんが、突き詰めて仲良くなれると面白い方かもしれません。

最後に

認知の歪みに関係する表層についてだけ、今回考えていました。

過去にあった出来事(トラウマ)などで、生きづらい考え方がついている方もいるので、それは少しずつ時間をかけて、人の助けも借りながら、向き合っていければいいなと思います。

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